笛木家の軌跡

所長笛木久美について①

幼少期の強烈な記憶は性的な悪戯

これから結婚して幸せになりたい紳士淑女の皆様こんにちは☆

江東区の結婚相談所Love Attraction、所長の笛木です。

当サロンではクライアントさんとの信頼関係を非常に重要視しております。

つまり腹を割ってお互い話せないと、何か困ったことが起きてもクライアントさんから相談されない、よって最善の方向に進まない・・・なんてことを避けたいと思っております。

その為には多少なり、私のことについて知ってもらうことも重要だと思ってるので今後私のことについてチョロチョロ書いて行きたいと思っています。

 

というわけで本題へ。

私は埼玉県のとある植木屋の長女として生まれました。

そもそも心理学やスピリチュアルな世界に興味を持ったのは、9歳の時に知らない男性から性的に悪戯された経験があったからです。

その時強烈に感じたのは「殺される」という恐怖と自分の身が穢されるようなおぞましさでした。

その当時、私は両親と信頼関係が非常に薄く、その事を誰にも話せず35歳になるまで「無かったこと」として記憶の中から抹消したのです。(でも消えませんけど)

しかし当時の私にはあまりにも苦しい体験だったので、「何故私はそういう経験をしなくてはならなかったのか」その答えが欲しくて必死にあらゆる本を読んでいました。

その行き着いた先が心理学やスピリチュアルな世界でした。

しかしある時点でこの出来事は自分が引き寄せた事をハッキリと自覚します。

8歳の時に「死にたい」「死にたい」「死にたい」と1冊のノートに鉛筆でびっしり、綴った記憶があります。

後から自分でもそのノートがおぞましくて、誰にも見つからないようにこっそり庭で焼いて捨てました。

大人になった時点でその記憶が蘇り、「死にたい」「死にたい」「死にたい」とノートに書き綴ったことが、公園の茂みに引き摺りこまれて「殺される」と思うような現実になってしまったのだと・・・

記憶の点と点が結ばれた時、つまりあれは私が引き寄せた出来事だったとハッキリ自覚した時は人間の意識の恐ろしさにおののきました。(現実を創造しているのは人間の意識だから)

では「死にたい」「死にたい」と延々書き綴ってしまった私はどんな家庭に育ったのでしょうか。

 

 

全てを恨んで生きていたのが私の子供時代

私の生まれた地域は周り近所がほぼ造園業を営んでいる、植木の里として全国的にも有名な地域です。

*画像はイメージです。私の生家とは違いますw

私の生家は母が祖父から引き継いで経営している、従業員が数名の小さな植木屋です。

ウチに働きに来る人といえば大体が誰かの紹介でした。

親に連れられて「どこにも雇ってもらえる場所がないからここで雇ってもらえないか」と頭を下げさせられて来る、素行の悪い10代の少年ばかりでした。

「人の太腿にナイフを刺して少年院入ってました」

「どっかの会社の金庫盗んで捕まったことがあります」

そんなような会話をよく聞きました。

母が「お客さんの家の庭先でそんな話を自慢げにしだすから、ヒヤヒヤする」と言っていた事を思い出します。

父は彼らがお金が無いといえばご飯を食べさせ、通勤手段が無いといえばバイクを買ってやっていました。

ほぼ親代わりみたいなことをしていたと思います。

でもある日突然いなくなる。

そんな事がしょっちゅうで、父はよく仕事の事でキレていたし、暴力も奮ってました。

父が従業員を、人を殴る鈍い音を聞くのは子供の私には耐えがたい事でした。

戦争が非人道的なように、暴力で人を制圧する父も非人道的に思えました。

そんな人が自分の父親だなんて最悪だ、父のやっている事は誰にも言えないし、恥ずかしいことでもあると思ってました。

ずっと父に対する批判が消えませんでした。

母は母で常に明日の現場の事、集金のこと、姑のこと・・・私たち子供の事は(弟がいます)全く頭の中から消えてしまっているかのように見えました。

子供時代の私の目に映る両親は本当に苦労していました。

世の中には他にも色んな仕事があるのに、こんな仕事を何故続けるのか両親を理解できませんでしたし、私はずっと植木屋が嫌いでした。

しかし母は「社会貢献のつもりでやってる」と言っていました。

「ウチみたいな植木屋があってもいい。そしたら他で受け入れてもらえないような人が働く場所がある。そうしたら犯罪者が減る」というような内容をよく言っていました。

そう言いつつも両親は従業員の彼等が私たち子供に危害を加えないか常に注意を払ってるようなところもあり、家の中には緊迫したムードと怒り、暴力で蔓延してました。

私はとにかく自分の家が嫌いだったし、暴力的な父も嫌いだったし、悪戯されて傷ついてる私に気がつけない母も嫌いでした。

更には祈っても祈っても祈ってもこの酷い気分の悪さと恐怖が消えない、この状況から助けてくれない神様も嫌いでした。

むしろ全てを恨んで生きていたのが私の子供時代です。

 

 

起こった事全てが受け入れられたのは自分の痛みを受け入れたから

しかし私のエライところは、このままでは私の人生を終わらせられないと色々必死に学んだことです。

私たちはあまりにも酷い痛みを体験した瞬間、自分を守る為に自分の身体から意識(魂)が抜ける瞬間があります。

しかし大人になって心の準備ができた時、再度その痛みに触れられるときがきます。

その瞬間がチャンスです。思い切ってその感情にダイブし、感情を感じきると自分にパワーが戻ってきます。

なのであの気分の悪さと恐怖が蘇った瞬間、「この気分を受け入れてみよう」と思い自分に感じる事を許可しました。

そうしたらわかった事がありました。

ずっと「これは間違ってる」という思いが私の中にありました。

私が酷い気分や恐怖を感じた事

父の暴力

仕事に忙殺される母

そしてどんなに祈っても助けてくれない神

でも今ならそれは全てが必然で、私が人生というものがなんなのかを学ぶ必要があったから起こったことと理解できました。

そもそもあの状況では彼等を暴力で制圧するしか父には選択肢がなかった。

そして二人の子供と従業員を食べさせていくには必死に働くしかなかった母。

あの状況を考えれば私が「死にたい」と思うくらい、孤独と恐怖を感じていたこともやむを得ません。

それがあの悪戯されるという出来事を引き寄せてしまったこと。

全てが仕方の無いこと、誰もがやむを得ずしてそうなってしまった。そういう事もあるのだと自分の経験を赦し受け入れられたのです。

それは自分の痛みを、感情を受け入れられたからなのです。

 

 

一つのことを学ぶのに時間がかかることもある

そして私の大きな学びの一つが、一つの事を理解するのに30年も40年もかかる事もあるということでした。

そしていつか私がわかる時がくるのを知っていたから、あの時神様は私をただ見守っていた・・・

私は見捨てられたわけではなかったのです。

うちの実家の墓石には「慈悲」の文字が刻まれていますが、私の両親はその通りの生き方をしていたのです。

 

一昨年、ウチで働いていた従業員のうちの一人が結婚しました。これは凄いことだと思ってます。

正直、「どーしようもなかった少年」がこの世のどこかの女性の信頼を得、結婚に至ったのです。

そこまでに彼を育て上げた私の両親を尊敬します(この方はご両親健在)。

そして両親を尊敬できるまで成長できた自分を褒めたい(結局ここに行くw)、そしてここまで私を導いてくれた周りの人たちにも感謝したい。

 

母は口癖のように「結婚しないとどうしようもない」と言っています。母の真意はわかりませんが、結局同じ事を私も思ってるんだな、と再認識しました。

結婚することが一番成長すること。

私の中では成長=自分が幸せであると気づく事、です。

結婚はしてみるとなかなか厳しいものもありますが、幸せを感じる場、愛や赦しをリアルに体感する場でもあると思います。

自分の両親や他所の夫婦を見ると「結婚が幸せに思えない!」という事はあると思いますが、自分が学んで成長すれば全く違う家庭を築くことができます。

それは私の人生で体現済みです。

*ウチの素敵な夫と可愛い娘。こういう瞬間に癒されます。

 

 

「いつかは結婚したい・・・!」と思ってる方は是非当サロンに来てください。

一緒にあなたの幸せは何なのか?を考えましょう。

 

 

自分を愛し、受け入れ、自分の人生を謳歌する・・・

意欲を持てば自分の望み通りの人生を創造できると私は信じています。

そんな人生を送りたい方は是非私のサロンに来てください。

お待ちしています。

 

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