9歳で小児ワイセツの被害者になった私が結婚3回を通して婚活メンターになったワケ
私が生まれてから自分の人生で感じてきたことをまとめてみました。
是非私を知って欲しいので、最後までお読みください♡
男性の性的な欲求は非常に衝動的で、間違えば犯罪を犯しても満たしたいという強い欲求がある
私は9歳の時に、家の前の公園で
知らない男性からワイセツ行為を受けました。
この事から私は自分自身に対する嫌悪感、
自分が女性であるということへの恐怖と同時に
不特定多数の男性への攻撃心を持つことになりました。
そしてそれらはあまりにも酷い体験だったため、
私は一生、口にすることなく墓場まで持っていくもの、とどこかで決めていたことです。
それをここに記します。
その日は家の前の公園で、私を含め近所の子供5〜6人で、
缶蹴りやかくれんぼに夢中で遊んでいました。
公園に近所では見かけたこともない浮浪者風の男性が、
一人いたことに気がついてはいましたが、
誰も気に止めることはありませんでした。
鬼ごっこで子供達が一目散に隠れようと、
公園中に散らばった瞬間です。
私も公園の奥に隠れようとした瞬間、その男に腕を掴まれて、
そのまま木の茂みに引きずり込まれました。
あまりにも突然で想像もしないほどの強い力に、
私は一体何が起きたのかわからず、
その時強烈に感じたのは「殺される」という恐怖でした。
次に私が視界に入ってきたのは、木の葉で覆い尽くされた空で、
それと同時に口の中に生暖かい男の舌が入ってきました。
その時感じたのは、酷い気持ちの悪さと
自分の身が穢されるようなおぞましさでした。
そして次の瞬間、私はその男を振り払って、
一目散に逃げ去りました。
それはたった一度、一瞬の出来事なのに、その後30年近く、
酷い気分の悪さと恐怖が常に私を苦しめました。
その当時、私は両親から愛されているという感覚がまったくなく、
信頼関係と絆が非常に薄い状態でした。
ですからその事を誰にも話せないまま、
大人の女性になってしまったのです。
しかしこの事は私にとってあまりにも苦しい体験だったので、
「何故私はそういう経験をしなくてはならなかったのか」
その答えが欲しくて必死にあらゆる本を読み、心理学やスピリチュアリティを学びました。
そして私はこの経験から理解できたことは、
男性の性的な欲求は非常に衝動的で、一歩間違えば
犯罪を犯してでも満たしたい、という強い欲求があることでした。
私たちは学歴、年収、肩書き、家柄などのシンボルに翻弄され、自分の本当の価値を見失ってる
私の生家は母が祖父から引き継いで経営している、
従業員が数名の小さな植木屋です。
私の生まれた実家は周り近所がほぼ植木屋を営んでいるというような環境で、
見渡す限り木で覆われた自然が豊かな地域でした。
そしてウチに働きに来る人といえば大体が誰かの紹介でした。
親に連れられて「どこにも雇ってもらえる場所がないからここで雇ってもらえないか」と
頭を下げさせられて来る、素行の悪い10代の少年ばかりでした。
ほとんどの子が家庭環境があまり良くなく、
父は彼らがお金が無いといえばご飯を食べさせ、
通勤手段が無いといえばバイクを買ってやっていました。
ほぼ親代わりみたいなことをしていたと思います。
しかしそんな彼らは、ある日突然いなくなる。
そんな事がしょっちゅうで、
父はよく仕事の事でキレていたし、暴力も奮ってました。
父が従業員を殴る、鈍い音や物を壊す激しい音を聞くのは、
子供の私には耐えがたい事でした。
暴力で人を制圧する父が非人道的に思えました。
そんな人が自分の父親だなんて最悪だ、
父のやっている事は誰にも言えないし、
恥ずかしいことでもあると思ってました。
ずっと父に対する批判が消えませんでした。
しかし大人になるにつれ、私自身も社会人として組織の中で働くようになってから
【ホワイトカラー】【ブルーカラー】という言葉に象徴されるような
「男性の立場」というものがよく理解できるようになりました。
子供の頃から、家では暴君のように振る舞う父が、
外では萎縮して態度が小さくなることが、私には全く理解できませんでした。
むしろそんな父の態度に怒りすら感じていました。
しかし社会で働く多くの男性の中に私が見たものは、
社会通念である「学歴」「年収」「肩書き」といったそれらのもので彼らは縛られ、
競争、上下関係、そして常に相手によって態度を変化させる…
このピラミッド社会の重圧に苦しんでいる男性の姿です。
私の父が非常に暴力的だったのも、
常に社会での立場、家柄や学歴という価値観からコンプレックスを感じ、
自分自身に欠乏感や失敗感を抱き、さいなまされてきたからです。
彼自身が自分自身を卑下していることが原因です。
でもこの自己価値の問題は父の中だけで起こっていることではなく、
私の中でも「私はいたずらされた。穢れていて価値がない」といったような形で存在していました。
親の観念は無意識に子供に影響するので、
私も無意識のうちに何らかの形で自分を卑下するような経験をしました。
自分自身を卑下すれば、悲しみや怒りが起こります。
(自分の価値が低い、または自分の価値が無い、は真実ではないので)
私たちは肉体という言葉で象徴される
学歴、年収、肩書き、家柄、または過去に起きた体験などに翻弄され、
自分の本当の価値を見失っています。
これによって自己価値を低く見積もっています。
私は父との関係から自己価値の低さが悲しみや怒りを産み、
またそれが人生で起こる問題を引き起こしていることを理解しました。
女性は誰しも、「若い」「美しい」「可愛い」という点で競争し葛藤を感じている
社会人になった私は資生堂、Diorの美容部員としてトータル12年従事しました。
その後はウエディングドレスのコーディネーターやアパレルにも携わりました。
その間、延べ3万人以上の女性を接客してきました。
その中でほとんどの女性が意識の中に持っているネガティブな観念を見つけました。
「私はブス(デブ)だ」
「私は普通でなければいけない(普通ではない)」
「絶対目立ちたくない・・・」
驚くことにどんな美人でも、みな一様に
同じような、ネガティブなセルフイメージを持っています。
そしてそのネタを使って、
「私はつまらない人間だ」
「私には価値がない」
「私は愛されるはずがない」
などと、延々自己イジメをしていることにも気がつきました。
そしてその反面、化粧品のカウンターに足を運ぶ女性たちは一様に
「もっと綺麗になりたい」
「もっと注目されたい」
と思いながらも
「注目される存在になったら、女性から嫉妬される」
「女性として魅力的な存在になったら、男性から傷つけられる」
と、自分が女性として魅力を発揮することに恐れを感じていることも垣間見ました。
私は私で、大好きな化粧品メーカーに入社し、毎日大好きなコスメに囲まれ、
「美容部員は天職だ」と思いながらも
常に「私はあの子より可愛い」「私はあの人よりブサイクだ」と
有頂天になったり、落ち込んだりの日々で常にストレスを感じていました。
私は「若い」「美しい」「可愛い」というネタを使って、
無意識に不特定多数の女性と競争し、そして葛藤を感じていたのです。
そして若さや美しさといった身体的な競争と売上のノルマのプレッシャーから、
私は美容部員という職業を辞めることにしました。
でもその間私が見たものは、女性は鏡の中に映る自分自身が
「素敵」「イケてる」「魅力的だ」と感じられれば、
自分を肯定的に受け入れることができ、またポジティブに変化していけるということです。
私たちはどこまでいっても結局「人」なので、
眼に映るものに翻弄されます。
女性として生まれてきたからには誰しも、
「若い」「美しい」「可愛い」という点で葛藤を感じてきたはずです。
しかし自分の目に映る「美しさ」を誰かと競争するのではなく、
自分自身を愛すること、自分自身を受容することに使えれば、
自分の存在そのものを肯定的に受け入れることができるのです。
こんな効果的なことはないとも感じました。
昨日の私よりも「若々しい」「美しい」「可愛い」と思えればそれでいいと思います。
ファッションや美容は誰かを打ち負かす、
または自分の価値を証明するといったことに美しさを利用するのではなく、
あくまで自分自身を好きになる、
愛するための行為として扱えれば最強のツールだと感じています。
最愛のパートナーにこそ、不倫や病気といった形で問題が浮上する
私は女性である事に恐怖を持ってしまった事、
不特定多数の男性に対する怒りを持ってしまったことにより、
2回離婚しています。
男性に対する怒りを持ちながら、赤の他人の男性と
一つ屋根の下に暮らすのは非常に難しいことでした。
この経験から痛感したことは、私たちのほとんどが、
感情を感じることを恐れ、感情を抑圧しているということです。
しかし抑圧された感情は、常に解放されること、癒されることを望んでおり、
それが不倫や病気、事故など人生に起こる問題として表面化してしまうのです。
感情はとても繊細で傷つきやすいものであり、
特にネガティブな感情は現在の自分の人間関係のなかに
【信頼感】がなければ出てきません。
つまり信頼感を感じている、安心感を感じている相手にこそ、
過去の抑圧された【感情】が出てしまうのです。
それがあなたの最愛のパートナーや家族に当たるのです。
私の場合は1回目の結婚の際、パニック障害という形で現れました。
2回目の結婚は、不妊治療によるウツという問題として表面化しました。
どれも今思えば、パートナーを愛し信頼していたからこそ、
小児わいせつの体験での痛みが、
パニック障害やウツという形で表面化しただけでした。
このように過去に抑圧してしまった感情は、癒しのために、
「問題」という形を作って、再び表面に現れるのです。
しかし、当時私の周りには感情の性質を理解するもの、
扱い方を心得ているものなどはおらず、
パートナー含め家族全員が私の症状にただ翻弄されるだけでした。
本来感情は、当事者を含めた人間関係に愛と絆があれば、
自然と癒されるものなのです。
しかし私たちはお互い心因的な繋がりを断ち切ってしまっているので、
「問題」を通して感情が出るものの、
その場にいる全員がただひたすら苦しいといった状況に陥りました。
ですから私は自分自身でこの「問題」に取り組むしかなく、
必死に心理学やスピリチュアリティを学び、感情の扱い方をマスターしたのです。
この経験が今の私を創っています。
最後に
そして私の大きな学びの一つが、
一つの事を理解するのに30年も40年もかかる事もあるということでした。
私の人生で大きな障壁は自分が女性であるにも関わらず、
女性である事に怒りと恐怖を持ってしまった事です。
何と言っても自分の中にその強い葛藤があることが
すべての苦しみに繋がりました。
そして自分が女性であるがゆえに受けた傷や、
父という存在を通して、
社会における男性の立場や苦しさを理解することになりました。
でも自分が経験したことを理解し、受け入れたことで、
私は私が傷つく経験をする前以上に自由になれたことを実感しています。
私は自分の経験を通して、どんな辛い体験も自分自身の事と深く受け止め、
そこから学ぶことができれば自分や人の助けになるということがわかりました。
この経験から、私の才能は抑圧されてしまった感情を解放し、
本来の自信やパワーを取り戻すことだと確信しています。
人は誰でも、本来の自信やパワーさえ取り戻せれば、
どんな困難も乗り越えていけるのです。
この人生を通して、深く自分自身と繋がること、
本来の自分自身を取り戻すことさえできれば、何も怖くはありません。
結婚は実際体験してみるとなかなか厳しいものもありますが、
しあわせを感じ、愛や赦しをリアルに体感する
素晴らしい場であると私は感じています。
自分の両親や世の中の夫婦を見ると
「結婚が幸せに思えない」という事はあると思いますが、
自分が学んで成長すればそれらとは全く違う家庭を築くことができます。
意欲を持てば自分の望み通りの人生を創造できるのです。
私はこれからも自分を愛し、受け入れ、自分の人生を謳歌する・・・
そんな人生を送りたいと思っています。
パートナーシップ研究所Love Attraction
代表 笛木 久美